2008年01月29日 00:56
去る1月28日は、auとソフトバンクの春モデル発表会であり、同日程をぶつけてくるあたり、実に楽しみだった今日この頃の私ですが、その結果はといいますと、なんといいますか、ソフトバンクが戦いを挑んでくるだけのことはあるなと( ; ゚Д゚)
端末デザイン、性能のバランス、斬新さ、新発表されたサービス。どれをとってもソフトバンク、というかシャープには勢いがありますよ、ほんと。auも前よりはマシになってきてはいるんですが、au本来の斬新さという点があったかというと・・・じゃないかなと。延び延びになっていた秋冬モデル3機種も2月1日発売だそうですが、このタイミングだとまさに遅きに失するといいますか、誰しも春モデル発売まで買い控えるような・・・
auケータイの辛いところとして、機種毎に搭載しているサービスにバラつきがあるところじゃないかなと思うんですよ。ある機種はフェリカに対応していない、KCP+がない等。
結果、自らのニーズに合った機種がものすごく絞られ、機種デザインが自分の意にそぐ合わないものだったりすると、機種変ボルテージもまっさかさまに落ちたら痛い状態になっちゃったり。まぁ、それはソフトバンクにも言えることなんですけれど。
これがドコモとかだと、905iはHSDPA、GPS、GSMなどの基本サービス面での機能は全部入りで、その他デザインやカメラ、UIなど付随機能で他社との違いを図っているわけですが、ユーザーからすればそこが共通している分、純粋な機種選びに迷えるわけですよ。705iに関しては、性能等の違いを明確な型式やリリース時期をあえてずらすことで、訴求ユーザー層の分離に十分機能していますし。
販売戦略の違いなのかもしれません、今後のKCP+次第なのかもしれませんが、少なくとも今回のモデルのうち、KCP+使ってない機種を秋冬モデルに繰り上げて出しておけば、市場の評価はもうちょっと変わったのかなと。
目玉となる機種を限定しすぎたら、他が翳んでしまいますよ(;つД`)
バイザウェイ。
社会において、自分の認識している自分と客観的に他人から見た自分との間の相違点はあるのが当然であり、不特定多数のヒトによる客観的評価の限界点は、本来認識している自分というX,Y軸に限りなく近づくものの、しかし決して近づくことのない漸近線に等しいという法則を編み出したい今日この頃の私でして、レコーダーに録音した自分の声がどことなく違和感あるように聞こえるように、自分は決して自分を全て知ることは出来ず、それゆえに他人は自分を全て知ることが出来ないんじゃないでしょうかという日本語は何を伝えたいのかさっぱりわかりませんね┐(゚〜゚)┌
ま、要は自分が把握している自分自身と他人から見た自分の印象は違うってことで、それらの何が違うか、どう違うかを効率よくすり合わせるために生まれた指標がステータスという共通項目であり、ステータスの存在が他人との違いを明確に浮き彫りにし、それが自分自身の表現の場としても機能し、それは結果的に自己の違いを明確にすることでしか人間は自己を表現できない、もしくはそれ以外での表現がしにくいってことに繋がるわけですよ。
他人との違いが必ずしもエラーというわけではなく、ある他人にはそれは許容できるものであったり、でもある他人には拒絶して然るべきエラーであったりすることもあります。例えば、喫煙者にとっての煙草、同じ喫煙者には許容できるものですが、嫌煙者には言わずもがなというように。
他人との違いを明確にすることは、自己の存在をより他者に知らしめる一方、他者との間に明確な壁や溝を作るという副作用を齎し、過度の自己主張は社会からの孤立化の遠因となってしまうのは確かではありますが、人生においてその違いを許容できる、もしくは同意出来る他者に出会えた時、ヒトはそのヒトを友と呼ぶことが出来るんじゃないでしょうか(゜ー゜;)
だからこそ友人を、恋人を、ひいては自分を理解してくれる人たちを大切にしなさい、自分を許容してくれる人なんて世の中にそうそういるもんじゃないんだから、という小学校の帰りの会に定年間近な教頭先生がのたまいそうな格言が生産されるわけで、それはエゴイストであるならばこそ他人と協調しなければならない、つまり自分の為にも他人を大切にしなさいよ、ってことなんでしょうね。
幼少時はなんということもなく聞き流しスキル上げしていた私自身も、今となっては岩に染み入る蝉の声ほどに身体に、頭に反響していたりします。なぜならば、ケータイ複数持ちに対して理解を示してくれる人間が今のところ周囲に存在しないからです(;つД`)
まったく世間は広いようで狭く、そして狭いようで果てしないもんですよ。
現時点において、歩幅にして南氷洋程譲って理解を示してくれる知人でさえケータイ2つまでであり、今のところ3つケータイを持っている私自身の趣味世界に同意してくれる人が見当たらないのは、ある種私にとって世界は広く、人は星の数ほどいると思うに十二分だったりします。
複数持つということがいかにも奇特で特殊に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、世間的に見れば全然普通であり、例えばゴルフ好きな人はクラブセットを複数もっていたりするでしょうし、車バイク好きな人はいわずもがな、果てはボールペン万年筆シャーペンまで、誰だって好きなものは複数持ちたくなるのが道理だと思うんですよ。
趣味ってのは、そういったいくつ持っても困らないと思えるものじゃないかなと。
ある性質が保たれなくなるような例外的な集合に属するという意味合いの特異点。趣味における特異点は、それこそ人それぞれであり、その数は人の数と同位なんですよ。そして、それこそ星の数ほどに点在する特異点こそが人の個性の存在証明そのものなんですよねえ。
ところで、私自身の事象に対する興味度合いを分かりやすく端的に表現するに「突沸」と「過冷却」がピッタリきます。基本的に熱しにくい、冷めにくいんですけれど、心の中で何かがキッカケとなって相転移が発生して一気に燃え上がり、また急激に冷めるんですよね。
なかなか手に入らないP905i、時間が経ちすぎたことにより、また会社の先輩がゲットしたことを受け、過冷却状態から一気に欲しいテンションが冷凍されてしまったんですが、その衝撃が、ほぼ同時期にネットで見かけたSH905itvに対しての突沸のトリガーともなり、気がつかなくても久方ぶりのケータイ4台持ちとなったわけなんですが、4台持ちとなると周囲の眼が「なぜ持つの?」から「また追加したんだ」的な目線に変わり、どことなしに特異な距離感を感じるようになったのは何故でしょうか(つд∩)
端末デザイン、性能のバランス、斬新さ、新発表されたサービス。どれをとってもソフトバンク、というかシャープには勢いがありますよ、ほんと。auも前よりはマシになってきてはいるんですが、au本来の斬新さという点があったかというと・・・じゃないかなと。延び延びになっていた秋冬モデル3機種も2月1日発売だそうですが、このタイミングだとまさに遅きに失するといいますか、誰しも春モデル発売まで買い控えるような・・・
auケータイの辛いところとして、機種毎に搭載しているサービスにバラつきがあるところじゃないかなと思うんですよ。ある機種はフェリカに対応していない、KCP+がない等。
結果、自らのニーズに合った機種がものすごく絞られ、機種デザインが自分の意にそぐ合わないものだったりすると、機種変ボルテージもまっさかさまに落ちたら痛い状態になっちゃったり。まぁ、それはソフトバンクにも言えることなんですけれど。
これがドコモとかだと、905iはHSDPA、GPS、GSMなどの基本サービス面での機能は全部入りで、その他デザインやカメラ、UIなど付随機能で他社との違いを図っているわけですが、ユーザーからすればそこが共通している分、純粋な機種選びに迷えるわけですよ。705iに関しては、性能等の違いを明確な型式やリリース時期をあえてずらすことで、訴求ユーザー層の分離に十分機能していますし。
販売戦略の違いなのかもしれません、今後のKCP+次第なのかもしれませんが、少なくとも今回のモデルのうち、KCP+使ってない機種を秋冬モデルに繰り上げて出しておけば、市場の評価はもうちょっと変わったのかなと。
目玉となる機種を限定しすぎたら、他が翳んでしまいますよ(;つД`)
バイザウェイ。
社会において、自分の認識している自分と客観的に他人から見た自分との間の相違点はあるのが当然であり、不特定多数のヒトによる客観的評価の限界点は、本来認識している自分というX,Y軸に限りなく近づくものの、しかし決して近づくことのない漸近線に等しいという法則を編み出したい今日この頃の私でして、レコーダーに録音した自分の声がどことなく違和感あるように聞こえるように、自分は決して自分を全て知ることは出来ず、それゆえに他人は自分を全て知ることが出来ないんじゃないでしょうかという日本語は何を伝えたいのかさっぱりわかりませんね┐(゚〜゚)┌
ま、要は自分が把握している自分自身と他人から見た自分の印象は違うってことで、それらの何が違うか、どう違うかを効率よくすり合わせるために生まれた指標がステータスという共通項目であり、ステータスの存在が他人との違いを明確に浮き彫りにし、それが自分自身の表現の場としても機能し、それは結果的に自己の違いを明確にすることでしか人間は自己を表現できない、もしくはそれ以外での表現がしにくいってことに繋がるわけですよ。
他人との違いが必ずしもエラーというわけではなく、ある他人にはそれは許容できるものであったり、でもある他人には拒絶して然るべきエラーであったりすることもあります。例えば、喫煙者にとっての煙草、同じ喫煙者には許容できるものですが、嫌煙者には言わずもがなというように。
他人との違いを明確にすることは、自己の存在をより他者に知らしめる一方、他者との間に明確な壁や溝を作るという副作用を齎し、過度の自己主張は社会からの孤立化の遠因となってしまうのは確かではありますが、人生においてその違いを許容できる、もしくは同意出来る他者に出会えた時、ヒトはそのヒトを友と呼ぶことが出来るんじゃないでしょうか(゜ー゜;)
だからこそ友人を、恋人を、ひいては自分を理解してくれる人たちを大切にしなさい、自分を許容してくれる人なんて世の中にそうそういるもんじゃないんだから、という小学校の帰りの会に定年間近な教頭先生がのたまいそうな格言が生産されるわけで、それはエゴイストであるならばこそ他人と協調しなければならない、つまり自分の為にも他人を大切にしなさいよ、ってことなんでしょうね。
幼少時はなんということもなく聞き流しスキル上げしていた私自身も、今となっては岩に染み入る蝉の声ほどに身体に、頭に反響していたりします。なぜならば、ケータイ複数持ちに対して理解を示してくれる人間が今のところ周囲に存在しないからです(;つД`)
まったく世間は広いようで狭く、そして狭いようで果てしないもんですよ。
現時点において、歩幅にして南氷洋程譲って理解を示してくれる知人でさえケータイ2つまでであり、今のところ3つケータイを持っている私自身の趣味世界に同意してくれる人が見当たらないのは、ある種私にとって世界は広く、人は星の数ほどいると思うに十二分だったりします。
複数持つということがいかにも奇特で特殊に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、世間的に見れば全然普通であり、例えばゴルフ好きな人はクラブセットを複数もっていたりするでしょうし、車バイク好きな人はいわずもがな、果てはボールペン万年筆シャーペンまで、誰だって好きなものは複数持ちたくなるのが道理だと思うんですよ。
趣味ってのは、そういったいくつ持っても困らないと思えるものじゃないかなと。
ある性質が保たれなくなるような例外的な集合に属するという意味合いの特異点。趣味における特異点は、それこそ人それぞれであり、その数は人の数と同位なんですよ。そして、それこそ星の数ほどに点在する特異点こそが人の個性の存在証明そのものなんですよねえ。
ところで、私自身の事象に対する興味度合いを分かりやすく端的に表現するに「突沸」と「過冷却」がピッタリきます。基本的に熱しにくい、冷めにくいんですけれど、心の中で何かがキッカケとなって相転移が発生して一気に燃え上がり、また急激に冷めるんですよね。
なかなか手に入らないP905i、時間が経ちすぎたことにより、また会社の先輩がゲットしたことを受け、過冷却状態から一気に欲しいテンションが冷凍されてしまったんですが、その衝撃が、ほぼ同時期にネットで見かけたSH905itvに対しての突沸のトリガーともなり、気がつかなくても久方ぶりのケータイ4台持ちとなったわけなんですが、4台持ちとなると周囲の眼が「なぜ持つの?」から「また追加したんだ」的な目線に変わり、どことなしに特異な距離感を感じるようになったのは何故でしょうか(つд∩)


コメント
おちゃめ | URL | 7D3BKrAw
とどのつまり
携帯を【4個】持つ人 この指とまれ?
(´・ω・`)
この携帯ラヴァーめっ!(*´Д`*)
( 2008年01月30日 12:23 [編集] )
でちでち | URL | mQop/nM.
こりゃまたスゴイコメントがついたもんですなwww
テラスッポンwwwww
まあそれはさておき、じゃんたんの携帯ラヴには頭がさがりますわー
理解できんけどw
( 2008年02月04日 03:59 [編集] )
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